時田 純先生の講演要旨
―口から食べるということ「終わりまで経口的食事ケアを」―
【介護食の誕生】
私は25年高齢者ケアを行ってきた。当時は脳血管障害の後遺症の患者さんが多く、むせて食べられない方が多かった。そのうちに痴呆の末期で食べられない方が出てきた。これが球麻痺で嚥下障害を起こしているため、口の中の食べ物を飲み込むこともできないし、吐き出すこともできないという状態だった。当時の文献には、嚥下機能は死ぬまで壊れないと書いてあった。嚥下障害が起きるということは、いよいよ終わりを迎えるというということであった。水を飲めなくなる、脱水になる。熱がでる。こうなると手におえなくなり、そして福祉施設での役割は終わったのではないかと、協力病院にお願いする。するとまもなく亡くなったとお知らせがある。そんことを繰り返すうちに、これはなんだということになる。
これは大変なことをしていると気づいた。1985年介護食の第一号「救命プリン」ができた。栄養と水を十分に取れる食品を開発するのが目標で、口から食べられなくなった方に、この救命プリンを、氷や感覚刺激を与えながら、体位を考えながら、どうしたらうまく飲み込めるのか研究をした。2、3日救命プリンを食べていると、そのうちに嚥下が回復してくる。回復してきたら、おもゆ、おかゆと食べられるようになる。食べて欲しいというスタッフの思いで、食べられるようになる。食事というのは非常にメンタルなもので、食べたいと思わないと食べられない。
介護保険は人をお世話させていただくという役目を、契約で果たそうとしている。嚥下障害があるだけで、食べさせられませんとか、経管でチューブを抜かれるから手を縛る。なぜチューブを入れる前に口から食べさせる努力をしないか。
命を支えるのは人が支える。最近はほとんどの入所者は潤生園で亡くなる。体にひとつも傷がない。点滴もない。チューブもなく天寿を全うすれば極めて安らかに死ぬ。私のところに各科のドクターが8名来ている。歯科医も25年前から来ている。この人たちが、いつもターミナルの人が一割ほどいるのを見て、こんな人は病院では死んでいますという。どうして生きているのか。栄養学的に見ればうそみたいなもので、カロリーで500kcalぐらい、水も300〜400ccしか摂っていないが、熱も出していない。
介護食は手抜きの食事ではない。手をかけた贅沢なものである。食べていただきたいという食事を作ることが大切である。私は老化とか病弱化を早めるのは、栄養障害だと思っている。介護の基礎に、免疫にきわめて相関関係が強い、食事、栄養というものをしっかりおいていることが肝心である。老化は免疫の働きを低下させ、感染率が高まる。栄養状態の悪化が免疫系の機能低下を招く。
【歯科医師はしっかり社会にメッセージを】
口から食べることの意味は、愉しみながら味わって食べ、本能を充たす根源的な欲求の充足である。食欲を充たせないと人としての生きがいや意欲を喪失する。味覚など五感を通して大脳を刺激し、QOLを高め、生命維持機能を活性化する。また非経口的栄養補給は人間の摂理に反するのではないか。点滴をしていると、食欲や元気が出なくなり、栄養障害が起きる。完全静脈栄養などの非経口的ルートからでは腸管粘膜萎縮や免疫低下が起きる。栄養と免疫には強い相関関係がある。
口腔ケアの重要性の認識が大切である。要介護者の口腔は細菌の繁殖で肺炎などの重要な感染症を起こしやすい。口腔を清潔にすると食事が旨くなり、食事量が増え体調が良くなる。でも口腔ケアの重要性の認識はまだ乏しい。歯科医師がもっとしっかり社会に対してメッセージを送っていかなければならない。人の健康と命を守る最大の役割は歯科医であるという自負を持って欲しい。それは、口の中に生命維持のすべてのセンサーがあるからだ。口腔ケアをしてないと水も苦くて飲めない。健常者は唾液より感染が防止をされている。高齢者は唾液の分泌が減って自分を守る力が弱ってくる。口から食べてもらって唾液を分泌しないと、自分を守る力が弱くなる。口がだめなら鼻から入れるというのは本質的に違う。口腔ケアこそ最善の予防処置だといえる。
人に携わろうと思ってこの仕事を選ばれた皆さんが、助ける使命がある。人間に生まれてきて良かった、たくさんの良い人に恵まれて良かったと終わりを迎えていただく努力をしてほしい。 |